そろそろ反省しなさい 2nd

デブスアラサー女の暮らしを本人が書き綴るブログです。

経営理念を唱える側から立ち上げる側へ

経営理念て皆さん今までどう向き合ってきましたか?

 

一般企業に勤めたりすると、たいていここのレクチャーから入ったりします。

ちなみに、私が初めて入社した企業はこれをまず覚えさせて、理解させて、そして実践するための教育がありました。

学生時代に一番長く働いたアルバイト先のグローバル企業もこれを唱えさせて、アルバイトの昇格試験には一番初めに問われました。

 

そんな経験から数年。

今はなんと経営理念を毎日頭を抱えながら考えています。

 

経営理念てなんでしょうか。

 

 

私は現在、事業を起こすための準備をしています。

内容は、伝統工芸品を作る事業。

 

またなんでそんなお金にするのが難しそうな…と思う方の方がはるかに多いと、

勝手に推測していますが、どうですか?

 

職人の仕事、高校生のころからの夢でした。

ものづくりを仕事にすること、小学生のころからの夢でした。

 

陣名まい先生の漫画「めーどいん みかる」

ご存じの方いらっしゃいますか?あの漫画が私に雷を落としていって、そしてそこに残った燃えカスの中に漠然と

”ファッションデザイナーになりたい”

というひそかな憧れが芽生え、

そして買ってもらったスケッチブックに目にもとまらぬ速さでデザイン画を仕上げていくデザイナーの真似をしながら洋服を着た棒人間を生成しまくっていたのを未だ鮮明に思い出すことができます。

仕上がったデザイン画のクオリティを思い返すと早くこの記憶を燃やしたいと思いますが、燃えカスの中から生まれた夢なので半ばフェニックスと同等なので致し方なし。

あきらめて棺桶まで持ち込むために心の奥にしまっておきます。

 

それはさておき、自分で作ったものを生活の相棒として迎えるということへの憧れや期待感は大人になった今でも残ることになりました。

 

そしてさかのぼること15年、高校生になった私は図書館で出会ったビジュアルブックによってまた雷を落とされます。

現代趣味のファブリックデザインを着物に仕立て、着物=格式高さ・ハレの服というイメージをえぐる様に拭っていかれました。

そしてファッションデザイナーになりたかったあの頃の夢が再燃したのです。

ただ、小学生のころと違っていたのは、

”普段着向け着物を作る人になりたい”

ということ。当時在学していた公立高校は、いろいろあって入学した年から進学校思考に転向してしまい、バイトしながらほどほどに勉強して適当に専門学校に進学して…

なんて考えていた私には在籍してるだけでもなかなか負担でした。

そんな中で大義名分をもって授業を休める課外活動に身を投じながら進路をあまり深く考えないまま受験期を迎えたころ、

あ、職人仕事って現代では生活できない、徒弟制度が色濃く残る職人という業界は家業を継承するでもなく、外部が一からとなるのに今からでは実力や養われるスキルが足りなすぎる。そんなことに気づいてしまい、和裁の専門学校進学を諦め、地元公立大学に進学したのでした。

 

その後大学生になり、着物への執着は自分で着ることによって薄れました。

それでも「職人」という職業や、脈々と引き継がれてきた技術や文化を継承する活動への憧れはなくなりませんでした。

 

……なにか冗談はさみながらおかしく楽しくお話を進めたいのに

真面目が炸裂してしまう…。

 

なんとか、卒論の受理締め切りまで数分のギリギリラインを、ヒール靴で回廊を全力ダッシュにて凌いで大学を卒業した私は、自力をつけるために社会人になりました。

今後利用するつもりでいた「地域おこし協力隊」という制度でなんとか自立して生活ができるように、

一般モラルや仕事の仕方、社会の仕組みを理解する大人としての修行期間を課しました。

 

今思えば頑張りすぎなほど頑張りましたが、おかげで現在その制度を使って30年弱お世話になった地元から移住し、生活をしています。

ただ、この国の制度には期限が設けられています。

イムリミットがあります。

 

伝統工芸に関する先立つ技術はほとんどないといっても過言ではなかったため、プログラムとしてあらかじめ用意していただいていた研修先での技術研修を受けました。半分以上の期間を技術研修に費やしています。

残り僅かになった、いわばボーナスタイムは刻一刻と終わりに向かっていて、

現在とてもとても忙しい中です。

 

ただ、本当に心からありがたいと思うのは、

現在生活している町の理解が温かいということ。私が身に着けた技術を根を張って残していいよ、助けるよ。

と受け入れてくださっているという現状です。

 

創業にかかる様々な費用に関しても援助していただいているほか、マインドを醸成するための手助けにも理解をいただいています。

 

何度か転職を繰り返す中、仲の良い友人には「職場運というか、上司運に恵まれないよね」なんて言われてきました。

私もそう思います。

会社員時代に心から尊敬できた冗長は担当になってから数か月後に大人の都合で退職に追いやられ、その後は運が尽きたのかと思うほど私と相性がよくありませんでした。

(そして病みました)

 

人生には種まきの期間、成長する期間、成熟する期間があるといわれていますが、

今思えば生まれてから現在に至るまでずっと種をまき続けていたんだなと。

それがここ数か月一気に芽を出し始めているような感覚です。まだ土から出てきてはないけれど、確実に種の外側の固い部分は破った。

そういう感じ。

 

お金には恵まれていなかったけれど、転職経験を重ねたことでそれぞれで取組んだことが現在、あるいは近い未来にとても役立つことに気づいたら、とても良い時間だったと思えます。

 

自分の限界を身をもって知れたことも、とても素晴らしい気づきになりました。

 

ストレスは見ないふりをすると寿命を縮めます。

確実に縮めます。

 

どうやって生活をしていくのか、どんなリズムが私にはちょうどいいのか、

それをより深く考えさせるきっかけを与えてもらったように思います。

 

さて、そんなセルフ働き方改善をしながら日々過ごしている私ですが、

現在は創業スクールに通っています。

週2回、1か月間というスマートな講座ですが、店舗責任者として仕事をしていたり、簿記を勉強していたころの知識、リアルタイムで準備していることが繋がっていく感覚がとても心地よく充実した時間になっています。

 

その中で、事業計画書の作成をしていくのですが、これがほんとに私の脳内とを占領していくのでした。

マインドセットも兼ねているので、漠然としたものに輪郭を与えていくような作業がメインです。

創業する事業の価値を問われるセクションがあり、それが今回のタイトルにつながります。

 

実は私、別件で商品開発をする半年スパンの研修にも同時並行で参加しているのですが、

創業スクールと近い日程で開催された講義の中で、

「本質に誘導」することを意識してモノづくりをしているという方のお話を聞く機会がありました。

その方と直接ご挨拶をさせていただいたとき

「あなたの伝統工芸品の本質が何か、を見つけて頑張ってください」

とおっしゃっていただいた一言がとても心に残り、今私がやろうとしていることの本質は何だろうと深く考えるきっかけになったのでした。

 

そもそも本質ってどうやって見つけたらいいのだろうか。本質とは何なのだろうか。

そこを考えるところから脳みそと時間の占拠率の高まりが加速していきます。

 

そして私なりに見つけた「本質」とは

「事業を進めたり展開していく際の軸になる」と解釈しました。

 

この解釈をもとに、自分の事業に掲げる、いわゆる「経営理念」をなんとなく言葉にすることができたのでした。

とはいえ、これを達成したと実感するまで昇華できたのは数日前のことで、言葉にした瞬間はまだこれでいいのか?

なんていうことで脳みそと時間が奪われていったのですが、それはただ今まで考えたこともなかった内容をやり遂げようとしていることに私自身の心が追い付いてなかっただけなんだ。

今まで過ごしてきた時間とはあまりにも違いすぎることをやっていたから脳みその働きを心の理解が追い付いてなかっただけなんだ。

そんな風に今は思えています。

 

小さな小さな双葉が地面にポンと出てきました。

 

私は、伝統工芸のうちの一つに携わっていて、今はそれを人生を通してやり遂げたいし、その先につなげていくつもりで取組む心が固まっています。

私がやりたいのは高校生の時に出会った職人という仕事人とその人たちが貫いている伝統をつなぐこと。

 

 

言葉にしてみると、稼ぎだけにとらわれない魔法の言葉に変身しました。

私は生業として職人を続けるために、職人という仕事を見失わないための大きな武器を手に入れたように思います。

 

 

経営理念は、お金に喰われない最後の砦

 

経営理念は、事業者の私利私欲にくらんで目的地を見失わないためのハンドル

 

経営理念は、事業そのものが存在する理由

 

経営理念は、創設者がいなくなっても存在し続けられるもの

 

 

会社員時代はなんだこの青臭くて、偽善のような言葉の羅列……

なんて思っていた時期もありました。

それは、社内の実務と掲げている冠にギャップが生まれていたから。

きっとこの掲げた言葉の真意を忘れず、周りにも真意を理解してもらうことでブレない事業が継続できるのだ、と信じています。

 

今日は私の決意表明のような文章になりました。

 

私の小さな決意表明を最後まで読んでくださりありがとうございました。